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306.幕末江戸における驚安商法の興亡

2026-11-08 新規作成

――幕末江戸における「驚安商法」の起源とその興亡

現在、日本全国に店舗を展開する総合量販店「ドン・キホーテ」。その起源が幕末の江戸にまで遡ることは、意外にも知られていない。

安政3年(1856年)、江戸日本橋の雑貨商人・呑木 保亭(どんき・ほてい)は、黒船来航によって国内に流入し始めた舶来品に目をつけ、これらを大量に買い付けて安価で販売する商法を考案した。

当時、舶来品は希少価値が高く、富裕層や一部の武士しか手にできない高級品であった。しかし保亭は「高く売れる物を安く売れば、客は驚いて買う」という、それまでの商人の常識を覆す経営理念を掲げたのである。

図1 呑木屋本店の店頭の賑わいと仕入れ担当と卸の交渉風景を描いた「南蛮渡来珍鳥之図」と「店先賑合問屋値段掛引之圖」。民明書房所蔵の資料から複製したもの。残念ながら一部欠損している。「南蛮渡来珍鳥之図」については引札のバージョンもある。後述。

呑木屋の創業と驚安商法

保亭が日本橋に開いた店「呑木屋(どんきや)」は、昼夜を問わず商売を続け、狭い店内に所狭しと商品を積み上げる独特の陳列方式で評判となった。

特に、商品を探し回るうちに思いがけない掘り出し物に出会う「圧縮陳列」と呼ばれる販売手法は、この時代に確立されたとされる。

また保亭は、値札に「驚安(きょうやす)」の二文字を記し、安価であることを客に強く印象づけた。

この「驚安」は当時の江戸庶民の間で流行語となり、安政年間の川柳には、

呑木屋で 財布は軽く 荷は重し

という一句が残されている。

幕府による弾圧と呑木屋騒動

しかし、こうした商法は幕府にとって看過できないものであった。

文久2年(1862年)、幕府は風紀の乱れと商業秩序の混乱を理由に、呑木屋に対して営業停止を命じた。

特に問題視されたのは、夜間営業によって武士や町人が身分の区別なく店内に集まり、商品を物色するという当時としては異例の光景であった。

図2 当時の賑わいの様子を描いた「萬品安賣大繁昌之圖」。輸出された陶器の包み紙に利用されたものが保存されていた。

これに対して保亭は、

商いに昼夜なし。安きに士農工商の別なし

と反論したと伝えられる。

この言葉は後に「呑木屋騒動」と呼ばれる一連の商業改革運動の象徴となった。

明治維新と驚安商法の伝播

慶応4年(1868年)、江戸城無血開城に伴う混乱の中で呑木屋は一時閉店する。

しかし、保亭の商法は弟子たちによって各地へ伝えられ、明治初期には「驚安売り」と呼ばれる廉売方式が全国の市に広まったという。

南蛮鳥とペンギンの伝承

なお、現在のドン・キホーテの象徴であるペンギンについても興味深い伝承が残されている。

呑木屋では舶来品を扱っていたことから、南極方面から持ち込まれたという珍鳥の絵を店先に掲げていた。

これを見た江戸の人々は、鳥の名を知らず「呑木屋の南蛮鳥」と呼んだという。

以下は安政年間に呑木屋が配布したとされる「引札(ひきふだ)」である。江戸後期の浮世絵・木版多色摺りで、この中に目立つ様に南蛮鳥が描かれている。

図3 呑木屋引札「南蛮渡来珍鳥之図」(安政年間・推定)。現存する原本は確認されておらず、民明書房所蔵の模写をもとに復元したもの。

このディテールは絵師が南蛮鳥(ペンギン)の特徴を聞きかじって描いたものと記録がある。
そしてこの鳥こそ、後世のドン・キホーテにおけるペンギンの意匠の原型とされる。

もっとも、当時の日本にペンギンが輸入されたという公的記録は存在せず、また呑木屋と現代の企業との直接的な継承関係を示す史料も発見されていない。

だが、安さによって人々を驚かせ、雑然とした店内で買い物そのものを娯楽に変えるという商法の本質は、160年以上の時を経た現在も変わっていないのである。

出典・参考文献


創作記事について

本記事は民明書房を出典とする架空の歴史解説です。登場する人物・事件・書籍・引用史料は創作であり、実在する企業「ドン・キホーテ」の創業史とは関係ありません。